こんにちは、作家のれおんです。
今回は、孤独は本当に存在するのか? ― 縁起の視点から考える生き方というお話です。
仕事がうまくいかない日や、恋が思うように進まない夜、「自分はひとりだ」と胸の奥が冷える瞬間があります。孤独は確かに心身を削る強いストレス――でも、ここに一つだけ事実があります。私たちは本当の意味で“絶対的に”ひとりにはなれない、ということです。
仏教の「縁起」は、すべてがつながり合って存在しているという視点。あなたがこの文章に出会ったのも、検索やSNS、無数の出会いと偶然が積み重なった結果です。つながりは見えにくいだけで、いつも静かに働いています。
だからこそ孤独をやわらげる近道は、自分の内側に閉じこもることではなく、外へ小さく手を伸ばすこと。笑顔で挨拶する、短いメッセージを送る――そんなささやかな他者貢献が、つながりの感覚を呼び戻します。そして「任せる」こともまた立派な貢献。無理を抱え込まず信頼して託すことで、相手の力が社会に循環し、自分は本来の役割に集中できます。
本稿では、孤独を「縁起」の視点で捉え直し、他者貢献と“任せる技術”というシンプルな原則で、いまこの瞬間を軽やかに生き直す方法をお届けします。孤独は存在しない――その確かな感覚を、ここから一緒に取り戻していきましょう。
孤独を感じる瞬間
仕事で思うように成果が出なかったとき、恋愛でうまくいかなかったとき、人は「自分は一人なのかもしれない」と強烈な孤独を感じます。孤独は大きなストレスとなり、心身の健康にも影響します。
しかし実は、「絶対的な孤独」というものは、この世界には存在しないのです。
仏教における「縁起」という考え方をご存知でしょうか。
縁起とは、「すべては互いに関係しあって存在しており、独立した存在などない」という教えです。
例えば、あなた自身も縁起の積み重ねの結果です。
両親が出会い、生まれ、育てられ、学校や職場での人との関わりによって今の自分が形作られています。もっと遡れば、両親がその場所で出会った偶然もまた縁起です。
今、あなたがこのブログを読んでいることもまた縁起の一部。検索やSNSのつながりを経て、ここに辿り着いているのです。
つまり、「孤独」という感覚があっても、実際には常に何かとつながっている状態にあります。縁起を意識することで、「本当の孤独は存在しない」と気づけるのです。
孤独を乗り越える鍵は「他者貢献」
人間は生存のために「集団からの排除サイン」に敏感になるよう設計されています。だから、仕事で成果が落ちたり(上司・同僚からの反応が薄い等)、恋愛で断られたりすると、脳はそれを“社会的痛み”として処理し、孤独感とストレス反応(不安・反すう)を強めます(社会的排斥で前帯状皮質が活動する研究:Eisenberger et al., 2003/孤独が健康リスクを高めるメタ分析:Holt-Lunstad et al., 2010)。
孤独感というのは、一人では生きていけない子供時代から非常に重要な要素になっています。
「嫌われる勇気」で有名になったアドラーも「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と述べ、悩みから解放されるなら宇宙空間にただ一人存在するしかないと言っています。
私たちは、赤ん坊の時は母親の元で安心感を感じますが、成長するにつれ、母親が常に自分の近くにいるとは限らないということを学んでいきます。
例えば、まず最初に赤ん坊は父親の存在を学びます。赤ん坊にとって父親というのは、自分と母親との間に割って入る邪魔な存在にしかなりません。
フランスの哲学者であるジャック・ラカンは、人間は父親(あるいは他の第三者)によって最初に母親との絶対的な繋がりを喪失し、この根本的な欠如を埋めようとすることが人間の欲望であると述べています。
しかし父親の存在が悪であるということにはなりません。赤ん坊は、父親の愛というものがあるということも同時に学んでいきます。
こうして私たちは、人間関係というのは愛を提供してくれるものであると同時に、自分の大切なもの、安心感を奪うものでもあると学ぶのです。
そうして成長するにつれて、自分と相手は別の人間であるということを知ります。これが孤独感を生み出すことになるのです。
孤独感を断つ一番の近道は、内省を深めることよりも「他者への貢献」に小さく踏み出すことです。実証研究でも、誰かのために行動するほど主観的幸福感・意味感が高まることが示されています(寄付や親切行為で幸福度が上がる:Dunn, Aknin, & Norton, 2008; 親切行為のメタ分析:Curry et al., 2018)。
生きる意味は、自分の中に閉じこもって探すものではありません。誰かの役に立つことで初めて「生きている意味」を実感できるのです。
要するに、「共同体感覚」に至ることを目指すのが良いということです。
共同体感覚とは、アドラーが提唱した概念で、「人間は互いに支え合う存在であり、その世界の中に自分がいる」という感覚のことです。
目の前の仕事をきちんとこなして、他者の役に立つ。
役に立つと、自分が世界と繋がったような感覚を感じることができ、自分の価値を実感しやすくなる。
自分の価値を実感したら、自分の価値だけは誰にも奪われないことが分かり、他者を信頼することができるようになる。
他者を信頼できれば、他者との繋がりへの感謝が溢れ、もっと貢献したいと考えるようになる。
こういうサイクルを回すことができれば、人間関係の悩みは解消され、自分が世界と繋がっていることを確信できるようになります。
そうして自分が共同体に確かに存在するのだと実感することで、他者を思いやることができるようになるのです。
つまり、自分の価値だけを考えて生きていた時よりも、他者のことを考えることができるようになるということです。
自分のことばかり考えている人はストレスを受けやすく、うつ病になりやすいことが近年明らかとなっています。
「病的に自分が好きな人」(幻冬舎新書)では、自分のことばかり考えて、自分の仕事の責任は全て他人にあり、自分は悪くないと考える人ほどうつ病の診断を受けに来ることが多いと述べ、自己中心的な人が陥るうつ病を「新型うつ病」として警鐘を鳴らしています。
このように、自分のことばかり考えてしまう状態から脱却し、他者を思いやることができた時に、私たちは孤独感から解放されるわけです。
目の前の仕事をきちんとこなしましょう。そして他者の役に立つことを喜びとして噛み締めるようにします。
どんな仕事でも構いません。全ては縁起によって繋がっているため、あなたの仕事は必ず誰かの役に立っています。
たとえ小さなことでも構いません。友人と会話する、誰かに笑顔を見せる、ほんの短い交流ですら相手の思考や行動に影響を与え、それが社会全体に波及していきます。これだけで縁起の一部となり、孤独感を薄めることができます。
「人に任せる」ことも立派な貢献
自分にできることをこなすのが良いと言っても、やはり誰よりも良い仕事をしてできるだけ多くの人の役に立ちたいと考えるのが人間というものでしょう。
しかしこの欲求は危険です。なぜなら、他者への貢献を最大化しようとすると自分を過剰に犠牲にしたり、あるいは仕事を同僚やAIに奪われた場合に、自分の価値を忘れる可能性があるからです。
急速に発展する社会の中で、多大な他者貢献をするというのはどんどん難しくなっています。そうすると、やりがいのある仕事以外には価値を見いだせなくなる。
AIが発展して人ができる仕事というのはますます限られてきていますから、やりがいのある仕事を見つけるのも難しくなって、他者貢献感を得ることがかなり難しくなってきています。
そうして自分のことを犠牲にして良い仕事を求めたり、効率化を図ったりするようになっていくのです。
過度に自分を犠牲にして他者のために、というやり方は長続きしません。
結局のところ他人への思いやりというのは、自分への思いやりから生まれるものですから、自分を大切にしないやり方はそもそも成立しないのです。
ですから、他者貢献を最大化しようとするのは危険なことだと言えます。
自分でできることは自分でやってあげる、ただし自分でできないことは無理せずに周りの人に任せるか、やらないようにする。
人に任せるというのはなんだか申し訳ないと感じる人も多いでしょうが、相手への信頼を元に、きちんと仕事を任せるという技術を身につけると、仕事を任された相手も他者貢献感を感じて幸福になり、自分も自分の仕事に集中して周りの人に貢献することができることで幸福を実感するというwin-winの結果を得ることができるようになります。
これも、今を生きるためには必要な技術になります。
他者への貢献感というものを感じることがどんどん難しくなっていく社会において、自分の価値を実感できずに焦り、孤独感を感じて今この瞬間を生きていくことができなくなるというのはとても苦しいものです。
しかし、思い詰める必要はありません。やることはシンプルだからです。
「どれだけ小さくてもいいから他者への思いやりをもち、何かしてあげる。できないことは人にお願いする」
このような生き方を貫けると、孤独感というのはかなり薄れます。
人に何かを任せているわけですから、孤独になりようがない。
今を生きるためのシンプルな原則
現代社会では他者貢献を実感するのが難しくなっています。そのせいで「自分の価値がない」と思い込み、孤独に苦しむ人は少なくありません。
しかし、必要以上に思い詰める必要はありません。原則はシンプルです。
「小さな思いやりを持って人に接する。できないことは素直に人に任せる。」
この生き方を貫けば、孤独を恐れる必要はなくなります。すべては縁起によってつながっているからです。
孤独は存在しない。
だからこそ、私たちは安心して今この瞬間を生きることができるのです。